文化資源戦略会議

ナショナルアーカイブの設立とデジタルアーカイブ振興法の制定をめざして

2015記録 -総括討論

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本記事は、2015年1月26日に、日比谷図書文化館で開催された、アーカイブサミットのプログラムのうち、三講師(高野明彦氏、目黒公郎氏、御厨貴先生氏)の講演のまとめとして実施された総括討論の記録です(以下、敬称略)。

2015年4月6日

文責:文化資源戦略会議

  • 個人情報保護を乗り越えてアーカイブを構築するために

御厨 今後のアーカイブにおける一番の問題は、「法制度や組織をどう整備していくか」だと思います。特に個人情報保護法の壁はどうにかして乗り越えないと、いざというときに必要最低限のデータすら集められない気がします。高野先生はその点をどうお考えですか。

高野 御厨先生が仰る「限界」が、非常にわかりやすい形で表れているのが、国立国会図書館の東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」だと思います。せっかくひなぎくに写真データが入っていても、写っている人の許可を得ないと公開できないので、結局は死蔵に近い状態になってしまう。

そうならないために僕らができることは何か、と考えると、災害が「起きた後」よりもむしろ、何かが「起きる前」から地域にコミュニティを作り、そこに暮らす人たちが自主的に写真や資料を提供してくれるような、ある種の仕組みを作ることが重要ではないかと思いました。これは災害に対する情報のレジリアンス(精神的回復力)を高めることにもつながるかもしれません。そこで僕らが取り組んだ活動の一つが、御茶ノ水ソラシティの地下で2013年4月からスタートした、まち歩きの起点&情報発信の拠点「お茶ナビゲート」の運営です。

もともと僕らは神保町のポータルサイト「JIMBOU」を運営する中で、神保町の古書店の在庫を横断的にアーカイブしていて、これがけっこう面白かったんです。「50年後に見たらもっと面白くなるだろうな」と感じていたので、お茶ナビゲートは地域の店舗などの情報を紹介するだけでなく、「町の記憶をくみ取る場所」にしようと考え、施設内に御茶ノ水の古地図や古写真を集め、それを使って今の御茶ノ水の散歩を楽しんでもらえるような仕組みを作りました。そうすると御茶ノ水界隈のお店は、「写真を見たお客さんが店に立ち寄ってくれるかもしれない」と考えて、古い写真や資料を進んで出してくれる。また、かつて御茶ノ水に校舎があった中央大学も、当時の写真があれば卒業生が喜んでくれるからと、今はもう存在しない御茶ノ水の校門や校舎の写真を、積極的に提供してくれるわけです。町中にこういった拠点があると、町の人たちには「自分たちの組織の記憶をあそこに預けてみよう」というインセンティブが生まれるし、実際にデータが集まってくれば、町にふらっと来た人も「こういう記憶こそが重要なんだな」と気づき始める。そうすると、今度はこの町でファミリー写真を撮っていた人たちが、個人情報のことは気にせず、どんどん写真を提供してくれるようになる。そうやって町の記憶を収めたアルバムができていくのです。

このように地域の人たちが「自分たちでコミュニティを作り、支えていくんだ」と思えるような場所を作ることが、回りくどいようでも実際は一番早く「町の記憶」を収集し、活用できる方法なのかなと思います。まずは僕らがそういったアプローチを草の根的に進めていって、いずれは国が応援してくれるようになればいいなと思っています。

御厨 お茶ナビゲートはとてもいい仕組みだと思います。そこに来れば懐かしい写真や資料を見ることができて、それを見た町の人が「うちの写真もここに置いてみよう」と思うようになる。これは高野先生がずっと提唱されている「文脈作り」、つまり記憶と写真を文脈でつなぐ作業ですね。ただ、先ほど「災害が起きた後ではなく、起きる前に」と言われましたが、こういった作業は心のゆとりがある時期でないとできないかもしれませんね。では目黒先生は、個人情報の問題についてどのようにお考えですか。

目黒 アーカイブの活用にあたっては、よく「個人情報の問題で使えない」とか言われますが、実際は一定の手続きをとれば、個人情報が含まれたデータも利用可能です。事実、東日本大震災後の災害対応現場でも、自治体の首長の判断などで個人情報を利用している現場はたくさんありました。ただ、そのことがあまり知られていません。役所は横並び意識が強いですから、前例のないことはやりたがらないですが、前例があればとたんに自信を対応してくれます。だから総務省には、ホームページの誰もが見やすいところに「○○県○○市は、こういう目的のために、こういう手続きで個人情報を使いました」という記録を掲載して欲しいと伝えているのですが、まだ不十分だと思います。

また、被災地の迅速な復興を考えた場合は、地籍に関する問題を専門に取り扱う第三者機関を作ることも、個人情報に関係した問題の解決策の一つとして重要だと思います。大災害は、その災害があろうがなかろうが、被災地が発災前から抱え将来的により深刻になっていく様々な問題を、時間を短縮し、より甚だしく顕在化させる性質があります。ゆえに、「元通りがいい」という被災者、特に高齢の被災者の声に従って、災害前のまちを再建したのでは以前からの問題をより深刻化させるだけです。被災者の言う元のまちのどこが良かったのかを整理・分析し、それらの長所を残しつつも、次世代以降の人々にも魅力の感じられるまちの再建が求められます。それを実現しやすくする環境整備の一つの方法に、浸水した地域を行政が一括買い上げして、少子高齢人口減少社会を踏まえた上で、魅力的な街づくりを実現することが考えられます。ある程度の私権の制限や地域の集約も考えながら、被災地の将来の姿を見据えた街づくり、次世代に新たな災害の危険性やインフラの甚大な維持管理を強いることのない街の復興、せっかく再建しても利用者がすぐにいなくなってしまうような状況をつくらない復興を、限られた予算の中で実現する方法です。これを実施する上で最大の問題が「地籍」の問題です。浸水した土地が誰のものなのかわからないと、行政はお金を払う相手が見つからず、土地の売り買いが成立しないから、復興が遅れる。そこで地籍不明な土地の問題に対応する第三者機関を設けて、行政はそこに応分のお金を預ける。後で地権者が出てきて「自分の土地を勝手に売られた」と言ってきたら、その第三者機関と地権者の間で交渉してもらう。そもそも地権者も認識していないケースも多いし、クレームをつけてくる人は限られるでしょう。このクレームに対応する別組織を作っておくことで、地籍の問題を解決し、迅速な復興につなげるというのも、一つの考え方だと思います。この考えは、我が国の財政状況が今後益々厳しくなっていく中で、確実に起こる南海トラフ沿いの巨大地震後の復旧・復興においては、より重要になると思います。

御厨 津波による浸水といえば、東日本大震災で被害に遭った地域の中には、明治や昭和の大津波や、戦後のチリ津波を経験したところもありますよね。そういった現場に行ってみて気づくのが、「記憶」の重要性です。災害を予防するには、「昔ここでこんなことがあったんだ」という記憶が「見える」状態にあることが、すごく大事だと思うんです。そもそも災害の被災地には、かつての災害の状況を刻んだ碑が立ってることが多いですが、その文面はたいがい漢文調で書かれていて読みにくいうえ、文字が薄れて見えなくなっているケースもあって、その碑がいつのどんな災害を記録したものなのか、町の人もよく知らなかったりするんです。しかもそのうち「この碑は交通の邪魔だからどかしたい」とか言われたりもする。今回も「昭和の震災でここまで津波が来た」ことを示す碑が地震で落っこちて、半年経ってもそのままになってたところがありました。地元の人に「このままでいいんですか?」と聞いたら、「重いし、どうせ役に立たないし」と。つまり、昔ながらの碑文の役割はもう終わっている。だったら今後は碑を復元するより、そこに書かれている内容をアーカイブして、いつでもビジュアルで見られるようにしておくほうが、記憶の再生という意味でははるかに有意義だと思います。

ちなみに広島では5~6年前に「爆心地の原爆投下前の町並みをCGで再現する」というプロジェクトがありました。このCGは国連でも上映されて、けっこう評判になりましたが、それまでは「原爆以前のことは思い出したくない」と言っていた人が、このプロジェクトをきっかけに、当時の様子を語り始めたりすることもあったそうです。CG制作はお金がかかりますが、プロジェクトを行った人は全財産を投げ出して取り組んでいました。そんなふうにみんなが情報を分かち合える仕組みができれば、災害後の記憶の再生や活用も進んでいくと思います。

  • アーカイブの資金と継続性

御厨 では次に、アーカイブにおける「資金」の問題について考えたいと思います。さきほど「東日本大震災から4年近く経ち、ボランティア組織やNPOが金銭面で苦しんでいる」という話が出ましたが、資金面が苦しいと、精神的にも苦しくなりますよね。この問題については高野先生、どうお考えですか。

高野 お金はもちろんたくさんあるに越したことはないのですが、それ以上に大切なのは、「災害にずっと付き合っていくことが自分たちのミッションだ」と思える人たちのチームを小さくてもいいから維持し続けることではないかと思います。先ほど御厨先生が、「日本では平成天皇と美智子妃殿下がもっとも通時的共時性と一貫性をもって、災害現場と付き合っておられる。そこで得られる知見には、専門家でもハッとさせられるものがある」という話をされましたが、やはり今の日本でそういった活動をしているのが「天皇皇后両陛下だけ」というのは、あまり良くない状況だと思うんです。お二人と同じくらい現場にちゃんと足を運んで、5年10年と長期間にわたって多数の災害現場と付き合うチームを、きちんとした予算のもとに設置すべきです。そうでないとこの国は、本質的なところで変わることができず、今回の大震災で対応が不十分だったがために起きてしまった問題を、次の震災でもまた繰り返すことになると思います。

目黒 従来、防災対策は「コスト」と見なされてきました。この状態が続く限り「一回やったら終わり」で、サステナブル(持続可能)ではありません。これからは、防災対策を「コスト」から「バリュー」に変える取り組みが重要です。「震災のデータを集めて今後の対策を検討する」という活動も同様だと思います。それに関わる人たちにとって「価値ある仕事」にならなければなりません。そもそも日本のこれまでの災害経験に基づいて進めてきた様々な防災対策やそのための技術や仕組みは、日本独自の先端技術であり、国際貢献に役立つキーコンテンツだと思います。日本の他の先端技術が、時として貿易摩擦の対象になったり、相手国で排斥の対象になったりする中で、防災に関わる技術やノウハウは、ほとんどの国から尊敬をもって受け入れてもらえます。防災に関する技術やノウハウは、国内だけにとどめるのではなく、海外にも提供していくべきなのです。そうすることが日本にとって大きなバリューになり、継続的な技術の進展や自国の災害軽減に貢献することを広く伝えていくことが大切だと思います。

そしてもう一つ、先ほど御厨先生が石碑の話をされましたが、僕も石巻の青年から同じような話を聞きました。彼が言うには、かつて石巻で津波に遭った人たちは、その記録を100年オーダーで記録に残そうと石に文字を刻んでくれたけど、今の自分たちからすればその石碑は草むらの中にあったり、文字がよく読めなかったりして、実際には十分役に立たなかったと。つまり先人達は「朽ちない碑」を作ることで、「経験を朽ちさせてしまった」わけです。

そこで私が石巻市に提案した企画が、子ども達にあえて「朽ちる碑」を作らせることで、定期的に震災の記憶を伝える機会を作ったらどうか、というものです。石巻では高校卒業時までは地元にいる子が多いので、6年間に1回ずつ、地元にいる間に最低2回は碑作りを経験できるように考えました。小学生時代に、中学生や高校生のお兄さんやお姉さんに教えてもらいながらまず1回碑を作る。2回目は自分が中学生や高校生になって、小学生を教えながら碑を作る。石巻市は、6年間に1回のイベントでは予算措置が難しいので、市内を6つの地域に分け、毎年順繰りに実施する活動を今年から開始します。

御厨 やっぱり自分で手を動かさないと、震災の記憶は残らないんですよね。自主的にアクションを起こさない限り、石碑はただの石の塊でしかない。子ども達が自分の手で碑を作るという行為自体が、そのまま防災教育につながっていくのだと思います。

(講演についての質問)

長尾真(京都大学名誉教授・前国立国会図書館長) 先ほど目黒先生の講演で、東日本大震災のデータについて「震災直後に皆さんが一生懸命集めたものが、失われる時期に入ってきている」というお話がありました。これはたいへん重要な問題であると思いますが、今後も震災のデータをきちんと残していくためには、どうすればよいとお考えでしょうか。

目黒 東日本大震災に関するデータは、ここにきて予算が尽き、維持管理のための人件費も確保できなくなってきました。集められたデータの一部は大学などに預けられたりもしていますが、最近はそれさえも難しい状況です。この問題を解決するには、災害に関わるデータを一律で集められるような制度設計が必要だと思います。日本の役所や組織は、いったんルールとして定められたことはきちんとやるので、そういったルールをある程度作ってしまえば、最低限のデータは失わなくて済む仕組みができるのではないでしょうか。

それに加えて中央と各地域に、日本の災害に関するデータベースを構築し、長期的な視点で研究する機関を設けることも必要だと思います。道州制程度の地域区分で、それぞれの地域の特徴を踏まえたデータを集め、維持管理して研究するような組織を作り、中央なら霞ヶ関の官僚や首都圏の大学の研究者、地方なら地方自治体の職員や地域の大学の研究者が出入りして、顔を合わせて情報交換できるようにする。そういった仕組みが作れれば、災害データベースを取り巻く状況はかなり改善すると思います。現在はまだまだ道半ばなので、今後も実現に向けてがんばります。

  • アーカイブの担い手に求められること

御厨 続いて、アーカイブ教育と人材育成の問題について考えたいと思います。アーカイブに必要な人材の育成はとても重要なことだと思いますが、高野先生はどのようにお考えですか。

高野 アーカイブに関わる人材としては、図書館にライブラリアン、博物館や美術館にキュレーターと呼ばれる職業の方がいて、それぞれにプロフェッショナルな仕事をされています。ただ日本の場合、そういった方々のプロ意識があまりに強すぎるというか、従来の職業倫理に留まりすぎている人が多いようにも思います。たとえば海外の大学図書館では、新たにライブラリアンを採用する場合、ITが扱えることは当然ながら、今いるスタッフと同レベルの能力や考え方しか持たない人はもう雇わない、というんですね。そうしないと20年後や30年後に、大学の学生や教授に有益なサービスを提供できなくなるから、と。対して日本では、こういった危機意識は非常に低いと感じます。もちろんみんながIT技術に長けた情報屋になる必要はないんですが、従来のサービスにもしっかりと価値を置きつつ、その価値を20年後、30年後にも意味のあるものとして残していくには、どういう種類のIT技術をどのように取り入れたらいいのか、もっと意識的に考えるべきだと思います。また、大学や国立国会図書館の中にそういう教育が行える組織を作っていくことも、国の施策として重要ではないでしょうか。

御厨 日本のライブラリアンは、どうしてずっと「固い」まま来てしまったんでしょうね。

高野 正確な理由はわかりませんが、重要なのはやはりトップの意向でしょうね。長尾先生が国立国会図書館長を務めておられたときは、「国立国会図書館がここまでやるか!?」という新しい取り組みが次々に出てきて驚かされましたが、日本ではそういうケースはまだまだ珍しいです。欧米の図書館では、館長が「20年後、30年後はこういう図書館にしていくぞ」というグランドプランを描いて、その実現のためにはどういう人材が不足しているかを考え、ジョブディスクリプション(職務記述書)もきちんと書いて、適切な人材を探している。それに対して日本では人事が硬直しているというか、ジョブディスクリプションを書いて人を雇うようなケースはまずなく、旧態依然とした選考の仕組み、つまり「大学を優秀な成績で卒業して、高得点で公務員試験に受かった人の中から選ぶ」という方法しかない状況にあるわけです。そうなると、もともと母集団が目的に合致しない人たちばかりになってしまうので、欧米のような人材は育ちませんよね。

御厨 長尾先生、今のご意見についてはいかがですか。

長尾 もちろんトップダウンでの組織改革も重要ですが、図書館で働く職員一人ひとりが、「自分たちの組織をよりよいものにし、新たな時代の要請に応えるにはどうすればいいか」という職業意識と責任感を、もっと積極的に持つ必要があると思います。私は国立国会図書館で働いていた5年の間、周囲に声をかけまくって、いろいろな取り組みを行ってきました。その結果、最初は誰もやる気がなかった東日本大震災のアーカイブも、なんとか形にすることができました。一人ひとりが意識を持って行動すれば、組織もだいぶ変わっていくんじゃないかと期待しています。

御厨 では、目黒先生は「人材の確保」についてどうお考えになりますか。

目黒 職場に優秀な人材を呼び込むうえで、もっとも重要なのは「人がその場に行きたくなる雰囲気作り」だと思います。たとえば防災ビジネスがいくら社会的に意義のある仕事でも、それだけでは優秀な人材は集められないんじゃないかと。やはり一定の収入が得られて、周囲の人たちに尊敬されて、自由度が高くて面白い仕事ができて、極端なことをいえば「ここで頑張ってる男は女にモテるし、女は男にモテる」となって初めて、その場に才能を持った若い人たちが集まると思うんです。もちろん一部の「本当に優秀」な連中は、知的興味の満足のために、自ら進んで「食えないところ」に行くんですが、「そこそこ優秀」な人に来てもらうには、少なくともちゃんとお金がもらえて、それなりの立場が保証される仕組みが必要だと思います。

御厨 人材教育の問題は、皆さん試行錯誤しながら取り組んでいると思いますが、なかなか「こうすればOK」という正解はないですよね。ただ、やはり目黒先生が言われたように、いい人材を確保するには「その仕事が面白いと思えること」が重要だと思います。実際に働いてみてやりがいが感じられれば、自分から積極的に仕事を創造することもできると思いますし。そういう好循環を作り出すためにはどうすればいいか、会場の長坂さん、お考えをお聞かせいただけますか。

長坂俊成(立教大学) 私は今、気仙沼で若い人たちが働くNPO法人の活動に関わっていますが、そこでの作業はアーカイブを集めてデータベースに登録したり、メタデータを預けたり取材に行ったり、日々淡々としたオタッキーな作業の繰り返しなんですね。毎日それだけやっていると、すごく暗くなってしまう(笑)。やはりアーカイブには楽しさも必要だと思うので、アーカイブの出口として集めたデータを電子教材に編集し、学校教育で使ってもらうことを考えました。日々データを集めている人たちも、学校現場に出てみれば「こうやってアーカイブを使うと楽しいんだ」ということがわかってきて、やりがいが感じられる。さらに資金面では、アーカイブ構築を公費でまかない、電子教材編集作業も一定程度の対価がもらえる仕組みが作れれば、「自分も頑張れば地方公務員以上に稼げるんだ」と目標が見えてきて、この仕事に継続的に関わっていこうという意欲が持てる。その意味でも、アーキビストは大学院の修士課程で育成するものではないと思います。もちろんそういうルートがあってもいいと思いますが、現状では学校で育成されている人材と、現場で求められている人材は違うのかな、という気はしますね。

あと、肖像権に対する補償金の問題もすごく大事だと思います。たとえば今、家庭でブルーレイやDVDの録画用メディアを買うと、料金の中にデポジット(保証金)が含まれますよね。それと同じように、家庭用のビデオカメラにも保証金的な金額を一定程度プールしておいて、いざ災害が起きたときにはその肖像権に対して、社会的な保証がなされる仕組みを作っていくことも必要ではないかなと。こういったことはすべて税金でまかなうわけにもいかないし、ビジネスとして市場で解決できるものでもないので、両者の間でバランスをとっていくことが重要だと思います。

最後に個人情報の話ですが、平成25年に災害対策基本法が改正され、「避難行動要支援者名簿の作成」が各自治体に義務づけられました。そして、自治体であらかじめ条例を定めておけば、本人の同意がなくても、その名簿を事前に消防や警察、民生委員などの避難支援等関係者に配ることができる、とされています。でも実際には全国1,700の自治体で、どこもまだ事前配布は実現できていません。なぜなら内閣防災担当が、名簿に記載すべき個人情報の項目の中に、障害の等級や薬の既往症など、細かな情報まで入れてしまっているからです。各自治体はそれに惑わされて、「そこまでプライベートな情報を盛り込んだ名簿は配れない」と躊躇しているわけです。

一方、災害後の個人情報の取り扱いをみると、たとえば気仙沼では車のナンバープレートや家の表札、女性の肌、顔のアップなどが写っている写真は、未だに公開判断ができない状況です。こういったケースは、国立国会図書館のガイドラインだけでは運用しきれない部分があるので、先に述べた社会的保証の仕組みなども含め、もう少し細やかな対応が必要になってくると思います。今後も先生方にご指導いただきながら、着実に被災地のアーカイブ作業を進められればと思っています。

  • アーカイブとビックデータ

御厨 ではここでもう一つ、アーカイブにおけるビッグデータの処理について考えたいと思います。まず目黒先生、ビッグデータは今後ますます身近で、使いやすいものになっていくのでしょうか。

目黒 そうですね、オープンデータとの関係も含め、使いやすくなってほしいとは思います。ただ、ビッグデータが入手しやすくなるかどうかと、それを有効活用できる環境が整うかどうかとはまた別の話なので、今後はビッグデータをうまく使うためのメソッドや仕組み作りが、より重要になってくると思います。いくら提供する側から「使っていいよ」と言われても、うまく使うための環境整備が伴わなくては有効活用はできません。

手法に関しては、ビッグデータのサイズが大きくなればなるほど、「そこからどうやって重要なエッセンスだけを取り出すか」という問題が重要になります。言い方を変えれば、あまり重要ではないデータをどうやって捨てるかということですが、これについては、関連する研究機関が一生懸命に研究を行っていることころです。

加えて、防災のためにビッグデータを使用する場合は、まずビッグデータの利用目的をはっきりさせることが重要だと思います。たとえば「ケータイの記録から人がどういう風に行動していたのかがわかる、すごいでしょう」と言われても、困るわけです。大事なのは「それがわかると、防災上どんないいことがあるか」を明確にすることです。「災害が起きたとき、いつ、誰に、どんな情報を提供すれば、その人の状況がどのように改善されるのか」などの、ビッグデータの活用事例を具体的に示していくことが大切だと思います。

高野 私の所属する研究所も、最近はビッグデータで生きていこうという感じになってるんですが(笑)、僕自身はビッグデータに対して多少の違和感がありまして、距離を置き続けています。そもそもビッグデータの研究自体、「ビッグデータを得やすい分野」の研究に偏りがちで、しかも「データが大きければ大きいほど偉い」みたいに考えられている。それは文化的な価値とはちょっと違う気がするんです。たとえば「全国の自動販売機の売上げが時々刻々わかる」とか、「100円玉を先に入れる人と10円玉を先に入れる人の比率はこのくらい」とか、さらには「関東と関西ではその比率はこのくらい違う」とか、そういうのがいくらわかったところで、僕自身の生活には関係ないと感じてしまうんですよね。もちろん、カーナビが道路の混雑状況を教えてくれたりとか、ビッグデータが実際の生活に役立つこともあるので、一概にビッグデータ全体を否定するわけではありません。ビッグデータから何がわかるのか、逆に何を知るためにビッグデータが必要なのか、まずはそういったシナリオを作ったうえで、ビッグデータにアプローチすべきだと思います。

あと、僕がビッグデータよりも本などのスモールデータにこだわるのは、それが人間による知識の結晶だと思うからです。たとえば百科事典は全35巻もあったりして、量としてはかなり多いように見えますが、実際にはその何百倍もの書物に埋もれていた知識の中から、人間がもっとも重要なものだけを選び抜いて、結晶化しようと取り組んできた結果なわけです。僕らはそういった結晶を読み解いたり、結晶を水溶液に戻して化学反応を起こさせたりという努力をすべきであって、濾過されていない川の水のほうが水量が多いからいいでしょ、と言われても、それはちょっと違うんじゃないかなと。だから僕はこのビッグデータ全盛の時代にあっても、どちらかというとスモールデータという“澄んだ水”で勝負したいと思っています。

  •  まとめとして

御厨 私自身が今日先生方のお話を聞いたり、『アーカイブ立国宣言』を読んで感じりしたことは、やはり今は記録や記憶の使い方が、とても激しく揺れているんだなということです。その揺れが、従来の資料やドキュメントの扱い方にも影響を与えてきている。今後はビッグデータの活用を考えるのと同時に、従来のスモールデータをきちんと追っていくことも重要だと思います。

特にビッグデータは、使い方によっては間違った結論につながることもあります。たとえば昨年『昭和天皇実録』が発行されたとき、ある新聞社が「誰が何回天皇に拝謁したか」の頻度分析を行いました。この記事が出たとき、他の新聞社は「やられた」と悔しがりましたが、実はこの作業はまったく無意味なものだったことが、後からわかりました。昭和天皇は戦後すぐは、短い時間に多くの人に拝謁しているので、同じ人間が一日に何回か天皇に拝謁した場合は、記録上は一回の記載で済ませていた箇所があるのですね。そのことを聞いて驚いたのですが、他の新聞社は「恥をかかずにすんでよかった」と胸をなで下ろしたという、実に情けない話でしたが、私はこの話を聞いて、「もともとのデータの内容をきちんと把握せずに分析したら危ないな」と、つくづく思わされました。

ちなみにこの『昭和天皇実録』は、政治的な意味よりむしろ、社会風俗的な意味のほうが大きいと思います。たとえば「天皇はこの日にこんな映画を見た」ということもはっきり書かれていて、ある年の12月8日には『トラ・トラ・トラ!』を見てるんです。真珠湾攻撃を描いたアメリカ映画を、まさにその開戦記念日に見たというのは、普通、何かものすごい意味があると思いますよね。実際、この記述をそのまま残したら対米関係が悪くなるんじゃないかと、編集会議でも問題になったようです。でも、実はこれは単なる偶然だった。たまたまその日、昭和天皇は映画を見る予定があって、どんな映画を見るかを決めたのは、日程を決めたのとはまったく別の部署だったと。縦割りの官僚社会ではよくある話です。だからこの事実は、消されることなくそのまま記載されています。このように、資料の社会風俗的な意味は読み手側が付与していくものです。本書もぜひ手にとってご覧いただくと面白いと思います。

では、この討論会はここで終わりたいと思います。今日の講演やシンポジウムを通じて、我々の知見が皆さんの今後の活動に役立つことがあったなら、我々にとって望外の幸せです。ご清聴ありがとうございました。

 

 

公開日:
最終更新日:2017/03/09