文化資源戦略会議

ナショナルアーカイブの設立とデジタルアーカイブ振興法の制定をめざして

2015記録 -シンポ

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本記事は、2015年1月26日に、日比谷図書文化館で開催された、アーカイブサミットの総括シンポジウム(吉見俊哉氏、アンドルー・ゴードン氏、高野明彦氏、福井健策氏、森まゆみ氏)の記録です(以下、敬称略)。

2015年4月6日

文責:文化資源戦略会議

[主催者挨拶]長尾真(京都大学名誉教授・前国立国会図書館長)

本日はたくさんの方々にお集まりいただき、誠にありがとうございます。本サミットを主催するアーカイブサミット組織委員会は、各界でアーカイブに関心を持つ人々が集まり、ボランティアとして活動をスタートしました。こんにち全国各地でアーカイブされたいろいろな資料が、ネットワークを通じてお互いに共有され、利用し合う時代が来つつありますが、そこにはいろいろな問題や課題が存在しています。それらについてお互いに情報交換して共通認識を持ち、課題を解決していくための方策を議論する、そういった場所として、このアーカイブサミット2015を企画しました。

アーカイブをきちんと作り、互いに共有し合うということは、各地域の文化や産業などいろいろな活動を活性化し、日本そのものの力を高める基盤となります。たいへん地味な活動ではありますが、今後の日本の発展を支えるという意味では、非常に重要な活動でもあると認識しています。今回に限らず、今後もいろいろな課題を解決するために、お互いに協力し合い、活動していければと考えていますので、どうかよろしくお願いいたします。

なお、アーカイブに関する活動については、従来から国会議員の方々にもご協力をいただいております。今日は「電子書籍と出版文化の振興に関する議員連盟」会長の河村建夫先生、「デジタル文化資産推進議員連盟」会長の小坂憲次先生、幹事長の馳浩先生においでいただきました。誠にありがとうございます。また、この会の共催者である千代田区立日比谷図書文化館を運営する千代田区の石川雅己区長にもお見えいただいており、深く感謝申し上げます。さらにこの会を開催するにあたって協賛をいただいた各企業にも、改めてお礼を申し上げます。そして全国から本日この場にご参集いただいた皆さん、ぜひ今後も積極的に活動していただき、来年、再来年とよりよい日本を作っていくために、お互いに協力をする場を構築できればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

今日は朝10時からいろいろな議論が行われてきましたが、これから2時間は総括的な議論を行ったうえで、アーカイブ立国宣言を行うことになっています。ぜひ最後までご協力をお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。

[ご来賓挨拶] 河村建夫衆議院議員(電子書籍と出版文化の振興に関する議員連盟会長)

「電子書籍と出版文化の振興に関する議員連盟」は、文字通り電子書籍と出版文化を振興し、国の発展に寄与したいという思いで、一昨年に組織した超党派の議員連盟です。まずは一昨年、電子書籍に対応した出版権の整備を行うべく、著作権法の改正を行いました。それまでは文化庁もこの問題に関していささか腰が重かったように思いますし、出版社側もいろいろな意見があって議論がまとまりにくかったのですが、私たち議員サイドから「ダメなら議員立法でやりますよ」と叱咤激励し、なんとか改正案をまとめることができました。我々も世界に誇る日本の出版文化と文化支援をしっかり行なっていくことは、国の発展にとってきわめて重要だと認識しております。特に現在は情報発信が求められていますので、出版界にはその役割をしっかり果たしていっていただきたいと思っております。

最近は出版物を含めた多種多様な文化資源を蓄積し、整理してデジタル化したうえで活用していく仕組み、いわゆる「アーカイブ」の充実が問われている時代です。著作権法改正に際しても、参議院の議論で特に付帯決議がつき、ナショナルアーカイブ構築の重要性について強い指摘がなされました。私どもとしても、これは国がやるべき仕事だ、さらに公文書館がもっと機能を発揮しなければならないということで、公文書館の建て替えと充実についても、今後本格的に進めていきたいと思っております。ちょうどそんな時期に、アーカイブに強い関心をお持ちになり、その必要性を感じている皆さんがこうして一同に会し、早朝から夜遅くまで議論を重ね、あらゆる角度から意見を出されることには、心から敬意と感謝を申し上げつつ、国会の立場で衆参一緒の方向を向き、日本のアーカイブ構築についてさらなる努力をしていきたいと思っております。今日はその決意表明を兼ねて、お祝いの挨拶に参りました。皆さん、これからもお互いに頑張って参りましょう。

[ご来賓挨拶] 小坂憲次参議院議員(デジタル文化資産推進議員連盟会長)

私が会長を務める「デジタル文化資産推進議員連盟」は、先に河村先生からご挨拶のあった「電子書籍と出版文化の振興に関する議員連盟」と表裏一体の組織です。我が国の文化資産といえば、先ずはゲーム・アニメ・マンガですが、最近では和食も世界遺産に登録されました。そんな我が国の豊富で多種多様な文化遺産を、いかに海外に情報発信していくか、国民生活にどのように生かしていくか、さらにはコンテンツ産業の振興をどのように推進していくか。それらを協議するのが、私ども超党派議員連盟の役割であります。

現在は海外の方がインターネットで日本の文化を検索しても、残念ながら期待されるような結果は出てこない、それが日本の現状だと思います。デジタルアーカイブにいち早く取り組んできたアメリカやヨーロッパ、現在、国を挙げて取り組んでいる中国や韓国に対して、我が国は少し水をあけられるような状況になっています。かつて長尾さんが国立国会図書館長を務められていたときは、アーカイブ化に対してたいへん前向きに取り組んでいただきました。私は当時、衆議院の議院運営委員長という役職にあり、国立国会図書館を管轄する予算管理を担当していましたので、長尾先生と一緒に国立国会図書館を一つの核にして、資料のアーカイブ化を進めようと取り組んできました。その頃からだいぶ年月が経ちましたが、ここにきて徐々に機運が高まってきたと感じています。本日はご参加の皆さんから、アーカイブに関する法制化に向けて、いろいろな提言もいただけると聞いております。私ども議員連盟としては、デジタルアーカイブの構築が早い時期に実現できるよう、ナショナル・デジタル・アーカイブの活用推進基本法を制定する必要があると考えています。国会の立法機能をしっかり発揮し、この基本法の制定に向かって取り組んでいきたい。その意味でも今回のサミットでの皆さんの議論は、私どもにとってもたいへん有意義なものとなります。私どももしっかり勉強させていただいて、議員連盟として法案の早期成立に向けて尽力したいと思います。どうか皆さん、それぞれのお立場で議論に参加していただき、この後のパネルディスカッションでは、示唆に富んだご意見をまとめていただけることを期待しております。

[後援ご挨拶] 石川雅己(千代田区長)

今日はこの千代田区立日比谷図書文化館で、国内初のアーカイブサミットを開催していただき、本当に嬉しく思います。この日比谷図書文化館は、もともとは東京市立日比谷図書館であり、100年以上の歴史がありました。それが何年か前に廃止するという話になり、図書館発祥の地である日比谷図書館を千代田区が運営を引き継ぐことになりました。

日比谷図書館の原点は、100年前に当時の市長尾崎行雄氏が市民の知徳を養うことなどを目的に創設したことにあります。我々はそうした歴史をしっかりと継承すべく、図書館の名称を「千代田区立日比谷図書文化館」としました。ここには「図書館は単に本を貸す場所ではなく、文化あるいは知へのゲートウェイである」という思いが込められています。当館だけではなく、千代田区内の全区立図書館もそのコンセプトに基づいて運営されています。考えてみれば「知や文化のゲートウェイ」とは、まさにアーカイブ=文化資源の貯蔵庫であります。アーカイブサミットと日比谷図書文化館、そしてすべての千代田区立図書館は、考え方に気脈を通じていると思っています。

この千代田区は、日本を代表する「顔」をいくつも持っている地域です。たとえば霞ヶ関と国会があり、大手町、丸の内、有楽町には経済の中心機能がある。一方で神保町という本の町があり、秋葉原のようにポップカルチャーの町もある。このようにさまざまな顔を持っている千代田区の特徴もふまえたうえで、図書館に「知や文化のゲートウェイ」という役割を持たせたわけです。

また、2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。オリンピックは単なるスポーツの祭典ではありません。オリンピック憲章にもあるように、「スポーツと文化や教育の有効連携」こそが、オリンピックの大きな精神であろうと思います。その意味でも、このアーカイブサミットを通じて、日本の文化資源の貯蔵庫がオリンピックまでに作られることが重要だと考えます。オリンピックを単に一過性のイベントとして捉えるのではなく、オリンピック開催に向かって日本の知や文化を支援するゲートウェイを構築することが、本当の意味でのオリンピックへの対応だと思いますし、そのためにアーカイブの施設や機能を完成させることは、私にとっても夢であります。従いまして、アーカイブサミットがこの日比谷図書文化館で開催されるのは実に嬉しいことであり、ぜひ今後も皆さんに本館をバックアップしていただければと思います。

アーカイブサミットは人々の文化や暮らし、経済活動などさまざまなことを、アーカイブを通じて学ぶ場であり、この活動が広がっていくことには大きな役割と意味があると思います。今日のサミットが素晴らしい実のある会になりますことを期待しています。

  • ミーティングの議論から、法・金・人とこれからのビジョン

吉見 今回のアーカイブサミット2015では、4項目からなるアーカイブ立国宣言を掲げています。これはアーカイブの専門家や実践家が集まった文化資源戦略会議の中で、本サミットの開催に向け、さまざまな構想や思案を行う中で考えられてきたものです。今日のレクチャーやミーティング、ワークショップでは、この宣言を巡っていろいろな議論を行ってきました。この後は4人の先生方に登壇いただき、総括的なディスカッションを行いますが、まずはその前提として、先に行われたミーティング1~4で議論した内容について、私のほうから説明いたします。

○ミーティング1「アーカイブ政策、著作権と法制度」

ここでは著作権や権利処理を巡る法的問題について、4つの論点から議論を行いました。

第1の論点は「何を対象として、何のためにデジタルアーカイブ化すべきか」です。「何のため」については、もちろん「文化のために」という視点もありますし、経済振興や地域活性化など、経済的な視点もあります。これについてはどちら側の視点からも積極的な意見が出ました。しかし「何を対象に」というところでは、「アーカイブはすべてを対象にすべきだ」という意見と、「戦略的な選別をすべきだ」という意見に分かれました。

第2の論点は「公的資金で制作・収集保存された文化・情報資産のデジタル公開促進策(=オープンデータ条項)の是非」です。さまざまなデジタル文化資産をどんどんオープンにして公開していくという考え方について、議論が行われました。たとえば公的資金を受けた研究や政策は、義務的に公開すべきだという積極的な意見もありましたが、一方で「作品とメタデータ、保存と公開は区別すべき」という意見もありました。また、作品の非営利利用公開(無料公開)と、出版社や映画制作会社などによる営利利用がどのようにすれば共存できるのかも、論点の一つになりました。

3番目の論点は「海外発信のための字幕化など支援の具体策、そしてその是非」です。字幕化などの支援策はもちろん進めるべきであり、具体的な手段としては、留学生や市民の活用構想などが挙げられ、海外事例も紹介されました。ただし実践にあたっては、予算、技術、クラウドの活用や品質管理などの課題もあり、今後の打開が必須と思われます。

最後の論点は「孤児作品(オーファンワークス)問題の解決はどのように図るべきか」です。著作権者や所有権者が見つからない文化資産については、不明の程度がいろいろあり、一概には語れません。不明な分量が大量にあるものと少量のもの、利用の主体が公共(非営利)の場合と民間(営利)の場合、使用方法が保存の場合と公開の場合、利益目的の場合と非収益の場合など、作品によっていろいろなケースがあります。孤児作品についてはこれらの「場合分け」を明確にしていき、ケースごとに複数の制度を組み合わせる作業が必須ということで、意見がまとまりました。また、保存目的の場合のデジタル化については、著作権法31条第2項「国立国会図書館は特に許諾がなくても保存できる」という条項について、主体の範囲を一定程度拡大して対応すべきではないか、という意見もありました。

○ミーティング2「アーカイブ組織:お金の問題」

ここでは、アーカイブを巡る経済の問題を扱いました。参加された各アーカイブ施設に経済的な側面をご報告いただき、その状況を共有・整理したうえで、現状の課題と解決の方向性を議論しました。論点は4つです。

第1の論点は、公的資金の使い方の改善です。現状では各省庁などの組織ごとに、予算が縦割りで配分されるケースが多くなっています。公的資金が事業分野単位で分散していると、使い勝手がきわめて悪く、非効率的な使い方しかできません。それを統合的に使えるような仕組みは必須であり、特に人材に対して柔軟に資金提供可能な制度を設計する必要があります。アーカイブ問題の相当部分は、アーキビストという専門職人材を安定的に雇用し、彼らが安心してアーカイブを実践できる基盤を作れるかどうかにかかっています。しかし、現在のように予算配分が縦割りになっていると、専門人材を効率よく雇えず、アーカイブ作業を進めることができません。人材に対する柔軟な資金活用は不可欠といえます。

第2の論点は、商業的利用可能性の開拓です。アーカイブの商業的側面の重要性は共通認識といえますが、かといって収益を生むアーカイブだけを収集するような偏りが生じてはなりません。アーカイブは量と多様性が価値を生み出すものです。「収益を生まないアーカイブは価値がない」ということには決してならないわけで、非収益なアーカイブもきちんと共存できるよう、ダイバーシティ(多様性)を保証する仕組みが必要であると考えます。

第3の論点は、アーカイブのコスト低減です。ストレージやデジタル化などの技術革新、クラウド技術の活用、権利処理の効率化などによる対策が必須です。

第4の論点は、アーカイブの重要性を明確化することの必要性です。知識文化インフラとしてのアーカイブの重要性を広く明確に伝え、そういう意識を誰もが共有できるような活動を展開しなければ、持続可能性は実現できないと考えます。

○ミーティング3「アーカイブの担い手、どうする」

ここでは人材育成の問題を扱いました。アーカイブの構築においては、一定レベル以上の能力を持った専門職人材が安心して働ける環境を作ること、そしてプロだけでなくアマチュアでもアーカイブに関与していけるような形を作ることが必要です。ここでは3つの論点が挙がりました。

第1の論点は、専門職のあり方です。これからのアーカイブの構築には、既存の司書・学芸員・アーキビストなどの専門人材を基盤に、文化資源のデジタル化や権利処理に精通した、新たな高度専門職が求められます。そういった人材を育てるためには、既存資格への共通カリキュラムや、新たな専門職の理念・マインドの構築、そして職制の再定義が必要です。これは即ち、博物館・美術館の学芸員制度や図書館の司書制度と、アーキビストに共通する部分をきちんと定義するということです。アーカイブ関連の職種を横串でつなぐような制度や基盤を作ることにより、職制を再定義していくわけです。具体的にはカリキュラムの中味を詰めたり、座学ではなくさまざまなプロジェクトに実際に関わったりする中で経験を積んでいくことが必須となります。

では、そういった職制や専門職をどうやって定義し、専門性を担保していくかと考えたとき、第2の論点として学位・資格、第3の論点として養成機関の問題が挙げられました。国家資格は必要なのか、それとも専門職学位なのか、認定資格はどうするのか、中途研修をどのように取り入れるのか、現職の教育をどうするのか、文化に対する臭覚(何を残すかの判断力)はいかにして育てるのか、など。また、アーキビストは「地域の人々をつなぐ運動の主体」としても考えていく必要があるため、養成機関では専門職の養成と同時に、一般向けのリテラシーを深めていく必要があると考えます。

なお、今後に向けたより大胆な提言として、「既存の学芸員資格や司書資格をなくし、アーキビストを含めた別の新しい資格や職種を提言してはどうか」という意見も出されました。そのくらいのインパクトがないと、世の中に受け入れられないのではないかという意見がある一方で、もしそれが現実的でないとしたら、自分たちでできる範囲のことをまずやってみてはどうかということで、「文化資源コーディネーター」という高度専門職を認定し、すでにそういった活動をしている人を表彰したり(ベストプラクティスの共有化)、人材養成のためのベストカリキュラムを作成したりするといったことも提案されました。また、「アーキビスト育成においてデジタル化は一つの方法にすぎない。目的は文化資源をどう残し、活用していくかということなので、デジタルを強調した人材養成には特化しないほうがよいのではないか」という意見も出されました。

○ミーティング4「〈アーカイブ立国宣言〉の具体化に向けて:ビジョンと戦術」

ここではアーカイブを巡るさまざまな組織(文書館、放送、映画など)と、今回の宣言の関係をテーマに議論を行いました。

今回のアーカイブ立国宣言は、国立デジタルアーカイブ・センター(NDAC)の設立、デジタルアーカイブを支える人材の育成、文化資源デジタルアーカイブのオープンデータ化、抜本的な孤児作品対策という、4つの柱を持っています。これらに対して、既存の文書館や出版、映画、放送、地域アーカイブなどの立場から、できるだけ多くの問題点を指摘してもらったところ、以下のような意見が出されました。

・宣言には文書館の視点が欠けているのではないか。

・宣言の内容が文化芸術分野に偏っているのではないか。

・オープンデータ化がビジネスに益する仕組みはどうなるのか。

・立国宣言というが、現在はそもそも個別アーカイブもしっかり構築されていない状態であり、その上にさらに横串を通してもダメなのではないか。

・国家主導のトップダウンで政策を行うと、地方の小さなアーカイブが取り残されるのではないか。

・アーカイブでは市民は閲覧者として位置づけられているが、市民は作り手であり、単なる閲覧者という視点には限界があるのではないか。

・国内のアーカイブ機関を横串でつないでいくためには、アーカイブ宣言の中味だけでは不十分ではないか。

・宣言というからには、誰が主体となり、責任を持ってやるのかを、もっとはっきり出すべき。

このような批判が出る中で、「では、現時点でこういった宣言を出すことは早すぎるのだろうか」という議論も出ましたが、「不十分ではあっても今から宣言を出していかないと、手遅れになるのではないか。このような宣言を出すことによって、今後のアーカイブの方向付けを行っていく価値があるのではないか」という結論になりました。

ではここで、この4つのミーティングに対する私の感想を述べたいと思います。

アーカイブ立国宣言を実現するにあたっては、グローバル化の中で、日本を位置づけなおすような大きなビジョンが必要になります。一方で、委細な対応が求められる場合も多い。例えば、孤児作品問題では、「誰が、だれに、何を、何のために、どう活用・公開するのか」という「細かな場合分け」をした上で、それぞれの対応を考える必要があります。

究極的には、これらはすべて「情報や知はいったい誰のものなのか」という問いへの答えにつながります。

私たちは今、デジタル技術が急速に広がる社会の中に生きています。デジタル技術の影響はとても大きいのですが、中でも特に重要なのは、デジタルが発展すると私たちの社会は「忘れる」ことができなくなる、ということです。技術的には「すべてを記憶する」ことができるようになる。そんな中で、何を、どのように思い出していくことが未来につながるのか。デジタル情報は使っても減らないし、むしろ使うことで価値が増えるという特性を持っています。そこでデジタル情報を「どう使うのか」については、私たち自身が考え、デザインしていく必要があります。その際に必要なのが、個別のアーカイブ同士をつなぐ「横串」です。その横串は、従来の個別アーカイブを減らすものであってはなりません。予算、人材、法律、技術、いろいろな問題をクリアしながら、それぞれの個別アーカイブが経済的にも人材的にも豊かになるような「横串」のデザインが必要になると思います。

ではここからはその問いを踏まえながら、パネリストの先生方を壇上に招き、ディスカッションを始めたいと思います。

[パネルディスカッション]

吉見 では最初に4人のパネリストの方々から、これまでのアーカイブとの関わり方や、アーカイブに関するお考えなどをお話しいただければと思います。

  • 東日本大震災デジタルアーカイブと、四つのアーカイブのキーワード

吉見 まずお一人目は、アンドルー・ゴードン先生です。ゴードン先生はハーバード大学歴史学部教授で近代日本史に精通し、2011年3月以降は日本で数多くの震災アーカイブプロジェクトと協力しながら、東日本大震災デジタルアーカイブの構築を進めておられます。ではゴードン先生、お願いします。

ゴードン 私がこの場に呼ばれるきっかけとなった出来事は、わりと最近のことです。2011年3月の東日本大震災直後、ハーバード大学の日本研究所では、スタッフと教員が「何かしなくては」と考えていました。そのうちの一つが、震災の記録や記憶のアーカイブです。被災地には震災を記録したたくさんのデジタルデータがある。私たちが遠隔地からそれを保存することは難しいけれども、日本でそれを保存している方々と協力しながら、そのデータを世界中からアクセスできるようにしたり、保存活動を行っている方々の横のつながりを作る役割は果たせたりするのではないかということで、活動が始まりました。これがアーカイブの世界に直接関わることになったきっかけです。もちろん私は歴史学者ですから、アーカイブはずっと利用していましたが、アーカイブを作るほうに関わったのはこのときが初めてでした。それ以降の経験を踏まえて、今回のアーカイブ立国宣言についての感想を述べたいと思います。

端的に言うと、この宣言は非常に喜ばしく、歓迎すべきものであると思います。人によっては「今の時点でこの宣言はいきすぎ」とか「早すぎ」という意見も出ていましたが、私は「むしろ遅すぎるのではないか、もっと積極的に進めるべきだ」と思いました。その理由の一つは「デジタル」という言葉にあります。この宣言は「アーカイブ立国宣言」であって、「デジタルアーカイブ立国宣言」ではありません。つまりこの宣言の中には従来の紙などのアーカイブも、デジタルアーカイブも両方入っています。ただ、宣言の中では「デジタルアーカイブセンターを設立すること」を提言しています。私はそれが非常に重要で必要なことだと考えています。

この宣言における「デジタル」の意味は2つあると思います。一つは「デジタルの仕組みをもって、情報へのアクセスや利用を可能にすること」です。これは言い換えれば「デジタル装置を利用して、従来の紙の資料をデジタル化し、アーカイブ化すること」です。そしてもう一つは「もともとデジタル生まれのデータを、デジタル情報として保存すること」です。今日の議論の中では、どちらかといえば「仕組みとしてのデジタル」と「従来の文化資源」を組み合わせた話が多かったと思います。その重要性はまったく否定しませんが、私たちが東日本大震災で扱ったデジタルアーカイブの経験から言うと、Webサイト、動画、写真など、もともとデジタルで存在する資源をどうやって将来のアーカイブに取り入れるべきかの議論はまだまだ不十分であり、今後の課題にする必要があると思います。

私たちは東日本大震災デジタルアーカイブを作る中で、アーカイブには4つのキーワードがあると考えました。一つはデジタル情報の「保存」。二つ目はアーカイブ同士を横断的につなぐ「ネットワーク」型アーカイブの必要性。三つ目はアーカイブに入っているものを「発見」しやすい仕組み。四つ目はアーカイブを使う人と作る人の区別をなくして、普通の市民でもアーカイブ作りへの「参加」や、アーカイブに意味合いを与えて、その意味をアーカイブに残す「参加」の可能性です。この中でも「保存」と「発見」は、従来のアーカイブでも課題とされてきましたが、特にデジタルアーカイブにおいては「保存」がより難しくなっていると思います。紙で書いたものなら、火事がなければ何十年でも残ります。もちろん紙も傷むので、保存の技術は必要ですが。デジタル生まれのものは永久に残る可能性がある一方、一瞬で消えることもあります。だから「保存」について考えることは非常に重要です。たとえば海外の例を挙げると、マレー航空の飛行機が墜落したとき、数時間後に反政府勢力が「あの飛行機を落としたのは自分たちだ」とWebサイトに犯行声明を載せていました。でも、その文章は十時間後に消されてしまいました。インターネットアーカイブ組織が定期的にそのサイトの内容をコピーし、保存していましたが、サイト上からは消えてしまったのです。そういった意味で、保存について考えることは従来のアーカイブでもデジタルアーカイブでも、非常に重要です。

また「参加」についてですが、デジタルアーカイブでは従来のアーカイブと違って、いろいろな人がアーカイブに「参加」することができます。たとえばWebサイトを保存するデジタルアーカイブなら、一般の利用者も運営者に対して「このサイトを保存すべきだ」と呼び掛けることができます。私たちの作っている東日本大震災デジタルアーカイブは、まさにそういう形で始まりました。逆に運営者から利用者に協力を依頼して、メタデータをたくさん作ってもらうこともできます。そして、これも東日本大震災デジタルアーカイブで進めていることなんですが、私たちのアーカイブを使って何かを発見したり分析した利用者は、その結果もまた一つのコレクションとして、アーカイブに残すことができます。そのコレクションは公開してもいいし、プライベートのものにしてもいい。もしコレクションをアーカイブに入れてくれれば、次にアーカイブを見る人がそれを参考にして、アーカイブの中味をさらに活用することができます。デジタルアーカイブでは、そういった仕組みを作ることが可能なのです。アーカイブ立国宣言の今後の構想の中には、ぜひこの「参加」の可能性を加えていただくといいんじゃないかと思います。

  • 失われていく文化とアーカイブの必要性

吉見 ゴードン先生、ありがとうございました。では次に、骨董通り法律事務所 for the Arts 代表パートナーで、弁護士の福井健策先生にお話を伺いたいと思います。福井先生はこのアーカイブサミットの運営にも最初から関わっておられますが、今日のミーティングを通して感じられたことや、アーカイブ立国宣言で一番こだわっておられることなどをお話しいただけますか。

福井 では最初に、私自身のアーカイブとの関わりからお話ししましょう。私は弁護士で、主に著作権やメディア、アートなどの分野を専門とし、20年以上活動してきました。その中でもここ5年ほど、目立って増えてきた相談があります。それは「過去のいろいろな映像やテキスト、写真、音楽、データなどをお蔵出しし、広く一般に提供できるようにしたいが、どうもうまくいかない」というもので、つまりはアーカイブに関する相談です。

こういった相談は、しばしば作品の喪失や分散の危機と背中合わせになっています。たとえばもっとも印象深いエピソードとしては、過去の映画フィルムが挙げられます。日本には世界に誇る素晴らしい映画文化がありますが、戦前の映画フィルムの保存状態は先進国の中でももっとも水準が低く、1930年代の黄金期の作品では、保存率はだいたい10%と聞いています。ちなみに1920年代だと、保存率は2%まで下がるそうです。もちろん人気作品の上から順番に10%が残っているわけではないので、戦前映画のベストワンと言われた1927年制作の「忠治旅日記」も、前半部分は消失しています(後半は90年代に奇跡の再発見がなされました)。つまり戦前最高と言われる映画のフィルムが、永遠に歴史の闇の中に消えたままなのです。こんな残念なことはそうそうありません。さらには残っているフィルムの保存状態もきわめて劣悪で、音が聞き取りにくいことも常ですし、常に腐食や散逸の危機にさらされています。まさに今この瞬間にも、名作映画が消え去りつつあるのです。

そんな映画に輪をかけて保存状態が悪いのが、放送番組です。1980年以前のテレビ番組は録画テープを使い回ししていたので、保存率がきわめて低い。そしてさらにひどいのが舞台芸術です。舞台芸術の映像は、そもそもほとんど記録されていません。ですから1960~70年代を代表するようなアングラ演劇の唐十郎、寺山修司が手がけた人気作品でも、映像として残っているものはほとんどないのです。同様のことが公文書、各種データ、インターネットの情報など、さまざまな分野で起こっています。私は単純にこういった状況が惜しくて、アーカイブの活動に取り組み始めました。「アーカイブは経済的に利用価値がある」とか、「文化は人々のつながりに貢献する」とか、そんなのは実は全部後付けで思いついたことで、本当は過去の素晴らしい作品が消え去るのが惜しかったのです。これは必ずしも映画や舞台作品に限ったことではなく、東日本大震災の前に人々が作り上げた町並みの、生きた記憶や記録が消えていくことも、非常に惜しいと思います。こうした人々の営みを残そうという価値ある活動、それがここに集まった皆さんが行っている、保存記録を巡る活動=アーカイブです。それは地道な現場の努力によって支えられてきたものであり、これまで国の支援はきわめてわずかしかありませんでした。

そのためアーカイブの現場は、人、金、著作権の壁に常に直面してきたと言われます。慢性的な人手不足は言うまでもなく、予算も常に足りない状態でした。なんせ日本を代表する図書館である国立国会図書館が、所蔵資料のデジタル化のために使えている予算が、年間2,000万円しかないんです。外環道のたった25cm分ですよ(笑)。これが現状です。そしてもう一つ、著作権の権利処理の問題も、大きな壁となって立ちはだかっていました。

そもそも今ある民・官のデジタルアーカイブ活動は、それぞれが分断されていて、相互接続されていません。また、それらをまたぐような国のデジタルアーカイブ推進基本計画も、未だ存在しません。アーカイブにまつわるさまざまな問題を解決し、デジタルアーカイブを推進するためには、まず基本となる法の仕組みを作るべきじゃないかということで、議論が始まりました。それが今、私たちが取り組んでいるデジタルアーカイブ推進法制です。

この議論には4つの柱があります。一つ目は、国としての横断的なデジタルアーカイブ振興基本計画の必要性です。制度の重複を避け、落とし穴を発見するためにも、基本計画は必要です。

二つ目はバラバラに存在するアーカイブに横串を刺してネットワーク化することにより、横断的な検索を可能にすることです。横断的な検索機能をアーカイブ側が提供してあげないと、人々は欲しい情報を探すとき、Googleに頼ることになります。その場合、検索結果の上位に上がるのは英語系や商業系の文献が多くなり、日本のアーカイブの素晴らしい作品が上位に来ることはまずないでしょう。残念ながらデジタルの世界では、上位にヒットしないものは存在しないのと一緒で、アクセスしてもらえません。ですからアーカイブに横串を刺して、検索結果の豊穣さを増す必要があるのです。これも法制度によって手助けが可能です。

三つ目の柱はオープンデータ化です。これは「公的な資金を使って作られた作品は、誰もが利用できる状態で公開しよう」という働きかけです。EUなどもオープンデータ化を積極的に進めており、現在ユーロピアーナが所蔵する3,000万点のデジタルコンテンツのうち、64%までに「クリエイティブコモンズ」など何らかの利用条件が記載されています。これにより、そのデータは多くの人に使ってもらうことが可能になります。これは先ほどゴードン先生がおっしゃった「参加」を担保する仕組みでもあると思います。

そして四つ目の柱は多言語発信です。日本の素晴らしいデジタルコンテンツの多くは、残念ながら多言語化されていないので、海外で利用が進みません。これもどんどん多言語化して、世界に発信していくべきと考えています。

以上の要素を統括的に備えたアーカイブの場所として、国立デジタルアーカイブセンターの設立を提案しているわけですが、どの柱にも関わってくるのが著作権の問題です。アーカイブに保存されるデータの多くは既存作品ですから、原則として権利者の許可がなければ利用できません。現在、東日本大震災の被災地に残された写真や映像の収集・保存活動を行っている方々がいますが、その価値ある活動の対象も他人の著作物である以上、保存して次の世代に残そうと思っても、原則として著作権者の許可がなければ、デジタル化一つできません。持ち主なんてまず見つからないであろうにもかかわらず、です。この著作権の問題を、より簡易に処理できるようにすることが急務です。そうでなければ、腐食や散逸が続く映画フィルムを救うこともできませんから。

なお、著作権問題の中でももっとも重要なのが、探しても権利者が見つからない「孤児作品問題」です。孤児作品は我々の予想を遙かに超えるほど多く、だいたい過去作品の50%以上にもなると言われています。この孤児作品の利活用を考えることも、デジタルアーカイブの重要な役割だと思います。

  • アーカイブの使い方とそれを支える技術

吉見 福井先生が仰るように、「アーカイブされた資料はいったい誰のものなのか」という問題は、著作権や知を巡る権利の問題と深く関わっていると思います。人、金、著作権の壁を突破して、過去の知や文化を共有化していくうえで、デジタルアーカイブはどのようにつながっていけるのかという問いを、私たちは持っているわけですね。そのとき課題となることの一つが法制度、もう一つが技術です。実はアーカイブにおいては、技術の力で突破できることもけっこうあります。そこで次に、国立情報学研究所教授でNPO連想出版理事長の高野明彦先生に、技術の側面からお話を伺いたいと思います。今のゴードン先生や福井先生のお話を受けて、技術に何ができるのか、また今後アーカイブはどこに向かっていくのか、お話を伺えればと思います。

高野 アーカイブとは、知識を溜めた蔵のようなものだと思います。外から見ただけでは、中に何が入っているのかわかりにくい、そんなコレクション同士をどうやってつないでいくか。そこで僕が20年近く前から構想してきたのが「連想検索」という仕組みです。

連想検索は、文書と文書の言葉の重なり具合をもとに、特定の文書(検索条件)に近い文書(検索結果)を探し出す検索技術です。連想検索では、文章を丸ごと質問文として検索できるので、自分の関心に近い文章が含まれた資料を探すことができます。この仕組みは、僕らが運営している書籍検索サイト「Webcat Plus」で取り入れていますが、2002年にWebcat Plusを立ち上げた当初は、まずタイトルや著者など、本に関する基本情報でつなぐところから始めました。4~5年前には大学図書館1,000館に入っている和書のカタログと、国立国会図書館が持っている和書のカタログにもつなぎましたが、この両者は茶道の表千家と裏千家みたいな関係で(笑)、登録作法の違いがあり、両者のデータベース同士はまったく連携していません。両方のデータベースに登録されているはずの本をタイトルで検索しても、一方はヒットするのにもう一方はヒットしないとか、そういうことが頻繁に起きていました。じゃあ僕らがこのデータベース同士を寄せよう、自動でできないところは手を使ってでも、と取り組んだ結果、最近はかなりの精度で同じ本が検索できるようになりました。でも、そうやって単につなぐだけでは面白くないので、たとえば「全集の第○巻にどんな小説が収録されているか」で検索できるようにしたり、著者の人物に対する情報をまとめて検索対象に入れたりなど、さまざまなつなぎ方にもトライしてきました。大学図書館や国立国会図書館では決してやらないようなことをやってきたわけです(笑)。

そして次に取り組んだのが「トピックでつなぐ・テーマでつなぐ」です。これは人手で作業するので限界はありますが、たとえば「新書マップ」というサービスでは、合計16,000冊の新書を1,050個のテーマでグルーピングしています。テーマ数はまだまだ少ないですが、普通の検索では出てこないような検索結果が得られるとして、読書ファンの心を掴むことができました。

ただ、これらの基本情報やテーマは、単純にキーワードを登録すれば検索できるようになります。僕らは生き生きした考えを持つ人間なので、もう少し「書き手の偏見」を生かして情報をつなぎたい。そこで取り入れたのが、前述した「連想検索」の仕組みです。僕は連想検索を「文化の記憶を文脈でつなぐ連想情報技術」と呼んでいますが、この技術を使うことで、博物館・美術館・図書館・古書街などに蓄えられた情報を、相互に関連付けながら横断的に探索できます。言ってみれば「文化財の茶碗を掴んで本を探す」とか、「展覧会のカタログを掴んで文化財の一覧を得る」という感じです。先ほどゴードン先生が「デジタルでなければできないこと、デジタルだから新しくできることとして、つないだり活用したりする試みが必要」とおっしゃいましたが、僕らもまだまだ微力ながら、そういう方向に向かって頑張ってきたのかなと思います。

そして最近では、Web上でサービスを提供するだけでは面白くなくなってきて、自分たちの技術やサービスを直接社会に届けるような活動にも取り組んでいます。たとえば神保町に本と町の案内所を作ったり、新御茶ノ水の駅前に「お茶ナビゲート」という町歩き&情報発信の拠点を作ったりしていますが、そこで力を入れているのが、町の人たちによる「参加」の仕組み作りです。ここで収集・保存している古写真などのコレクションは、まだアーカイブとも呼べないほどの小さなものですが、その町に出入りする人にとっては非常に懐かしく、昔の記憶が思い出されるものなんですね。その場を訪ねてきたお年寄りが自分史を滔々と話してくれたり、昔の写真を自主的に提供してくれたりする、そんな場所にデザインしていくことで、無理のない市民参加型アーカイブの拠点が作れればと考えています。もしこういう場所が日本全国のいろんな場所、たとえばすべての町役場や市役所の片隅にあったら、きっとその町に関するアーカイブも自然と集まってくるでしょう。その結果として、著作権絡みの裁判なんかも減っていったらいいなあと願っています。

  • アーカイブを作る、とは何か

吉見 高野先生には、技術を通してアーカイブ参加の回路が開ける可能性について、興味深いお話をいただきました。では最後に、皆さんもよくご存知の著名な作家であり、人気タウン誌「谷中・根津・千駄木」の編集人でもあった森まゆみさんから、地域のアーカイブに関するお話をいただきたいと思います。森さんはタウン誌を発行する中で、谷根千という都市の記憶を暮らしの中に残し、生かしていく活動に長年取り組んでこられました。これを「都市のアーカイブ化」と定義するならば、それは決して博物館化ということではなく、その町で生き、暮らし続ける中でのアーカイブ活用になるのかなと思います。こうした動きについて感じられることを、いろいろとお話しいただければと思います。

森 今日ここにいらっしゃる皆さんは、出版社の方や研究者の方、図書館など専門職の方が多いと思いますが、私はそのいずれにも属さない(アーカイブの)担い手でして(笑)、「作り手としての市民」という立場から、暮らしのアーカイブのコンテンツを作ってきた30年だったように思います。

私自身が初めて町の歴史に触れたのは、文京区立誠之小学校で郷土史クラブに入っていたときです。ある日お年寄りが学校にみえて、地元の歴史を話してくださったんです。後で考えてみたら、それは文京区西片町の地主だった殿様・阿部正弘の子孫で、東大の先生もしていらした方だったんですね。その方からこの地域の歴史を聞いたのが私の原体験で、それ以降、町の歴史に興味を持つようになりました。土地の歴史にはいろいろな側面があって、たとえば荒川区の汐入という町では、必ず家が道に対して40度の角度をつけて建っているんですが、それは長い間の歴史によって決められてきたことなんですね。そういった決まりを無視すると、洪水に遭ったり天災に弱かったり、いろんな問題が起きる。やっぱり地域の歴史をきちんと踏まえて暮らすことは大事なんだなと、ずっと感じてきました。

そんな私が1984年、地域の女性仲間4人で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(以下、谷根千)を創刊し、子育てしながら地域で「記憶を記録に変える仕事」を始めました。谷根千は94号まで出して、5年ほど前に終刊したんですが、この雑誌のコンセプトは東京を「首都」や「政治経済の中枢」ではなく、「生活都市」として考えることにあったと思います。谷根千といえば「聞き書き」が特徴と言われますが、最初のうちは普通に原稿を依頼していたんですよ。でもぜんぜん書いてくれないので(笑)、しょうがないからこっちから出かけていって、聞き書きすることにしたんです。当時は聞き書きは軽く見られていて、「主婦がやった聞き書きなんて、学問的にみたらウソばっかり」なんて、いろいろ言われたものです(笑)。最近では「オーラルヒストリー」という言葉もできましたが、ここにきてようやく、地元のお年寄りや子供、女性など、公文書に残らない人たちの歴史をきちっと記録することが大事なのだという意識が、広く浸透してきたのかなと思います。

谷根千の発行にあたっては、根津郷土史研究会や日暮里郷土史研究会など、地元の郷土史研究会の方にもたいへんお世話になりました。でも、谷根千がその方たちと取り組んできた営みも、当時は不当に低く評価されていたと思います。そもそも「町について書かれた資料」自体、探してもぜんぜん見つかりませんでした。谷根千は本当に普通の町なので、谷中は「谷中今昔」「谷中総和」、千駄木は「ふるさと千駄木」という、いずれも私家版の資料が残っている程度。根津は明治期に根津遊郭について書かれた「根津繁盛記」とか、あとは天理図書館に一冊だけ「根津権現裏」という本が所蔵されているくらいで、参考になる文字資料はほとんどありませんでした。そのため私たちは、地元の方々に聞き書きをしてはいろいろな歴史文書や年表、地図などと照らし合わせ、記事をまとめていくことになりました。

ただ、私が聞き書きを始めた30年以上前には、まだ明治生まれの方がご存命だったので、貴重なお話もたくさん伺うことができました。「日清戦争の凱旋行列を覚えている」という方とか、明治期の殺人事件「箱屋峯吉殺し」の犯人として知られる毒婦・花井お梅を実際に見たことがあるという方(笑)、中には「自分は大杉栄の葬式で弔辞を読んだ」という方もいました(笑)。でも、今はもう明治時代が終わって100年経っていますから、そういう方はまったくいらっしゃいません。だから関東大震災の聞き取りはできませんし、もう少し若い方でも、第二次世界大戦で兵隊に行ったという方はほとんどいなくなりました。ただ、その中でもシベリア帰りの方はまだけっこうご存命なんですね。やはりシベリアで大変な労働をして帰ってきた方は、よっぽど体が強いのかもしれません。とにかく、今はすでにそういう時代になっていますので、できるだけ早く「人々の記憶を記録に変える」作業が重要だと思います。

また、そういった作業と並行して、地域の資料を集める作業も必要になると思いますが、こちらはぜひ図書館にお願いしたいと考えています。最近の図書館は、貸出数を増やすためにベストセラーをたくさん購入したりしていますが、地域資料は意外とちゃんと集めていないんです。商店街のチラシには店の地図が載っていることもあるし、町会名簿を見れば、その町にどんな方が住んでいたのかがわかります。たとえば昭和初期の千駄木町の町会名簿には、「原爆の図」で知られる画家の丸木位里さん・俊さん夫妻の名前があったりする。あとは戦時国債や軍票、赤紙、警防団の記録なども非常に大事なんですが、これらも現在はほとんど死蔵されていて、おじいちゃんが亡くなったらそのまま捨てられてしまう、というケースが多いです。写真に至っては、私が1980年代に撮った町並みでさえ、今はもう消失しているものがたくさんあります。他にも私家本、郷土史研究会で記録したテープ、学校や町会の記念誌など、そういった地域の資料は地元の図書館が早急に集めて、デジタル化していく必要があると思います。

ちなみに私は町の歴史を調べるため、都立中央図書館や日比谷図書館、国立国会図書館、東大の明治新聞文庫などに通いましたが、以前は資料の多くがマイクロフィルムだったので、閲覧していると目が痛くなってきて、本当に大変でした。それに比べれば、今は古地図などもインターネット上のデジタルデータで見られるようになり、本の作り手としては非常にありがたい時代になったと思っています。私が以前『即興詩人のイタリア』という本を書いたときも、1830年にアンデルセンがウフィツィ美術館で見たという「メディチのヴィーナス」の右手がどうなっているのか知りたくて、当時使い始めたばかりのパソコンで検索してみたら、ちゃんとウフィツィ美術館のWebサイトにその画像が載っていて、本当に便利だなあと感動した覚えがあります。

さて、私たちが作ってきた「谷根千」は2009年に終刊となりましたが、雑誌が終わってもそれで終わりではなく、いろいろな後始末がありました。まずバックナンバーですが、ありがたいことにオックスフォード大学やハーバード大学、エール大学、ミシガン大学、東京大学など、たくさんの大学にセットで買っていただくことができました。残った在庫は今もまだ販売していますが、そろそろそれも尽きるので、売り切れたら谷根千のWebサイトに、全号の記事をPDFでアップしたいと考えています。また、実際に取材した中で記事にできたのは本当に氷山の一角で、原稿では使えなかった資料もたくさんあるので、今はそれを号数別に整理する作業に着手したところです。ただ、私たちもお金のない市民団体なので、どこかから資金提供を受けたり、大学などと協力したりしながら、これらの地域資料をどんどんデジタル化していかなければなりません。今後その予算を確保していくためにも、今回のアーカイブ立国宣言はとても素晴らしい取り組みだと思います。

吉見 森さんが仰った「記憶を記録に変える作業」には、それによって記録が共有化されたり、後世に残ったり、利活用・再活用が可能になったりなど、さまざまな側面があると思います。

  • 会場からの質疑応答:アーカイブの参加の仕方、届け方。課題の切り分け方、アーカイブ構築の繋げ方、アーカイブの公共性

吉見 ではここで、会場からご意見をいただきたいと思います。テーマとしては、今日の議論で大きな話題となっている「横串」の問題、つまりアーカイブ同士をどのようにつないでいくのか。または「参加」の問題、つまり単にアーカイブを「使う」だけでなく、「参加」の仕組みをどうやって作っていくか。できればこれらの部分に焦点を当てて、ご意見やご質問をいただければと思います。

時実 東京大学総合教育研究センターの時実象一と申します。日本におけるアーカイブの総数については議論があると思いますが、現状、大学図書館や公共図書館にはかなりの数のアーカイブが存在します。私はそこからメタデータを自動的に吸い上げて、それらをまとめて検索できる仕組みが必要だと思います。ユーロピアーナやアメリカのDPLAなどは、すでにそういった仕組みを持っていますが、日本にはまだありません。それはなぜかといえば、公共図書館や大学図書館が作っているアーカイブが、もともとそういう使い方を想定して作られていないからです。ただ、こういった検索システムを作ること自体は、それほど難しくはありません。実際、国立情報学研究所のリポジトリーはそういう仕組みでメタデータを集めています。それと同じシステムをそれぞれのアーカイブでも作ってもらえれば、いっぺんに大量のデータが集まって、非常に便利になると思います。

古賀 天理大学の古賀崇と申します。2週間ほど前、同志社大学で新しく図書館情報学の大学院を作るということでシンポジウムがあったのですが、その場でライブラリアンの方からこんな問題提起がありました。「政府が日々発行している報告書には、非常に貴重なものも含まれているのに、単純にPDF化してWebにアップしているだけなので、非常に見つけづらい。わかりやすいところに置いてあれば研究も進めやすいのに、なんでわざわざ見つけにくいところに置くのか」。電子化されたデータを単に蓄積するだけでなく、いかにわかりやすい形で利用者に届けていくかという仕組みの問題も、ぜひアーカイブの文脈で議論すべきだと思います。

吉見 今のお話は、先ほどゴードン先生が仰った「アーカイブには保存・ネットワーク・発見・参加という4要素がある」という話に関連しますね。今の例でいえば、アーカイブは単に「保存」ができているだけで、ネットワークや発見、参加の要素が存在しない、と。では、ちょうどお隣に東海大学の水島さんがいらっしゃるので、水島さん、この「参加」の問題についてご意見をいただけますか。

水島 東海大学の水島久光です。今日のミーティングでは、吉見先生が「アーカイブの推進にあたっては、大きなビジョンはもちろん必要だが、個別の問題については条件による場合分けが必要だ」とまとめておられました。それをふまえて、この場で各先生方のお話を聞いていると、やはりさまざまなアーカイブ活動を十把一絡げに論ずるのは、ちょっと難しいように思います。たとえばゴードン先生も仰ったように、過去の記録をデジタル化して保存するアーカイブと、もともとデジタル生まれのアーカイブでは、参加の文脈も違うんじゃないかと。特にデジタル生まれのアーカイブでは、「記憶」をスルーして「記録」がなされてしまう場合もありますから、両者の「参加」の意味づけは変わってくる部分もあるのではないでしょうか。また、文化資源をベースとした知のアーカイブと、森さんの仰ったような「地域の生活の記憶」をベースとしたアーカイブでは、権利処理の仕方も変わってくると思います。前者は著作権が中心になりますが、後者では著作権もさることながら、肖像権の問題も大きく関わってきます。したがってこういった問題は、全部一緒に論ずるのではなく、もう少し大まかにでも区切りをつけたほうがいいと思います。一般市民のもそのほうが参加できるんじゃないかと感じました。

小川 国際資料研究所の小川千代子と申します。私は森先生のお話を伺って、今後は各自治体がそれぞれのWebサイト上に、地域情報の受け皿としての「地域文書館」を作る仕組みが必要になりそうだと感じました。また、私はしばしばヨーロッパのアーカイブのコピーを目にする機会があるんですが、そのコピーの裏には必ず小さなシールが貼ってあって、そのコピーのメタデータが必ず分かるようになっているんですね。日本でもアーカイブのコピーに元資料の請求記号番号などが付与される仕組みがあると、横串で検索する際も、大きな助けになるのではないかと感じました。

長坂 東日本大震災の中間支援団体「311まるごとアーカイブス」の代表をやっています、立教大学の長坂俊成です。先ほど森さんが古地図に言及されましたが、地理空間情報のアーカイブの場合、映像コンテンツと組み合わせないと、文脈をうまく与えることができないという問題があります。しかし、地理空間情報には平成19年に施行された活用推進基本法があり、メタデータの体系やAPIも独自のものになっています。この地理空間情報の世界は非常に閉じた村であり、たとえば「被災前の航空写真や住宅地図をアーカイブとして保存すべき」といった意識もまったくありません。今後はデジタルアーカイブ村の皆さんにもご協力いただいて、地理空間情報の特徴であるオーバーレイや空間的な分析をアーカイブとして保存していけるよう、見直しができたらと思います。

吉見 日本はいろいろな意味で村社会の連合体なので、「村」を越える仕組みがなかなか作りにくいことは日々実感しますね。では他に、特に若い方からのご意見はありませんか?

遠藤 新宿区立四谷図書館の遠藤ひとみと申します。私は図書館で地域情報をデジタル化したり、それを使って地域の方向けのイベントを企画したりしていますが、その中で特に大きな問題だと思うのが、「図書館はどんな地域情報を残していくべきか」の判断基準です。たとえば新宿だと、「わかばで鯛焼きを買って、中村屋でカレーを食べて、紀伊國屋で本を買って、新宿武蔵野館で映画を見る」というのは、すでに一つの文化ですよね。でも、図書館でこれを地域情報としてアーカイブしようとすると、「固有のお店を紹介することになるから、公共性から外れる」と言われて、外さざるを得ないんです。いったい「公共性」って何なんだろう?ということを、改めて議論する必要があると思います。もともと私は指定管理者の立場なので民間の人間ですが、私からすれば「公共性」とは公務員の文脈で、「なるべく面倒くさいことはしたくない」という逃げの意味のように思えます(笑)。いえ、実際にそうなんです。ですから美術館、図書館、文書館などに関わる方たちには、今一度「パブリック」について語る場をぜひ作っていきたいと思います。

吉見 では、今のご意見を受けて、4人の先生方にまとめを兼ねてレスポンスをいただければと思います。

森 私は今、築90年の蔵を拠点に、地域の資料を収集したりイベントを行ったりする「谷根千<記憶の蔵>」という活動をしていますが、ぜひ自治体のWebサイトの中にも、地域の資料をデジタルデータで保存する地域文書館を作っていただきたいと思います。また、高野さんが仰るように「地域の人がそこに来て語れる場所」もすごく大事だと思いますが、今後はそこで行われる「語り」もすべて、映像なりで必ず記録しておくべきだと思います。ただ、語りは途中でものすごく話が飛びやすく、一つの話の中にいろんな時代の話が出てきたりするので、保存にあたっては索引も必要です。谷根千のWebサイトでも「谷中キーワード検索」という機能を設けて、キーワードを入れると「谷根千」の何号の何ページに該当記事が掲載されているか、検索できるようにしました。

そしてもう一つ私がお伝えしたいのは、「記憶は偏在している」ということです。たとえば沖縄の方に聞くと、沖縄戦の記録はたくさんあるんですが、当時の沖縄の生活を記録した資料は少なかったりします。同様に広島や長崎でも、原爆についての語りは多いけれども、それ以外の日常について語った記録はあまりない。だから東日本大震災についても、震災そのものの記録も大事ですが、併せて平時の記憶もしっかり記録化しないといけないと思います。

高野 さきほど国際資料研究所の小川さんから、「アーカイブのコピーにメタデータを付与する仕組み」について提言がありましたが、それは僕らにとっても非常に興味があるところです。たとえばそのコピーがどういう資料のどの部分にあたるのか、オリジナルの著作権の状況はどうなっているのか。そういったメタデータをちゃんととっていくことが重要ですし、最終的には書物など紙の資料だけにとどまらず、茶碗や史跡など紙以外の資料にもレファレンスがいくようにする。それこそがデジタルアーカイブが本当に達成すべきことであり、実現すれば観光にも学術にも、さらには個人の歴史を語るうえでも役立つと思います。今後は僕らも、そういった活用の形をぜひ作っていきたいと思います。そもそも僕は活用の現場こそ、参加を促すものだと思うんですね。「何かを思い出して語る」という場所を作ることによって、その人が持っている知識を記録できるわけですから。活用の現場を柔軟に作り出すとともに、その現場にしっかりしたデータを届けられる環境をデザインしていくことが、非常に重要になると思います。

また、さきほど「図書館では区内の店舗情報をアーカイブできない」という話がありましたが、結局のところ図書館が主体的にアーカイブをやろうとすると、どうしても官僚的なスピリッツやフィロソフィーに妨げられるわけです(笑)。そういったことは僕らも日夜経験しています。そこで今、僕が国立国会図書館の方とのブレストで提案しているのが、「Absolute No Voluntary」、つまり「国立国会図書館としては、この情報については一切責任を持ちません」というライセンスを作ったらどうですか?ということです(笑)。そうすれば、図書館としても安心して優秀な活用法を世の中に問いかけることができるし、外部の人もそのプラットフォームで自由に遊ぶことができる。プロが思い入れをもって高精度に作っている情報を、素人が自由に活用することができる、そんな場所をデザインしていったらいいんじゃないかと思います。

福井 先ほど水島先生からアーカイブの場合分けの話がありましたが、我々法律家の現場で「この作品を公開・活用したいのだけれど、どうすればいいでしょう」と質問をいただいたときは、権利情報の仕分けをするところから始めます。作品というものは、雑誌でもテレビ番組でも写真でも、固まりで考えている間は権利のことは何も見えてきません。だからまずはマトリックスを作って、情報の仕分けをするんです。この映像の中には誰が映り込んでいて、誰がシナリオや校正台本を書いているのか。BGMにはどんな音楽が使われているのか。背景には何が映っていて、何をしているのか。そういった情報を仕分けしていくと、どの権利がどのくらい重大に関わってくるのかが見えてきます。たとえば著作権について言えば、BGMでかかっている音楽は誰かが作詞作曲した最近の曲なのか、それとも昔から歌われているパブリックドメイン(権利切れ)の民謡なのか。それによって著作権処理が必要かどうかがわかります。また、映像に映り込んでいる人がいるなら、それは一般の方なのか政治家なのか、芸能人なのか。一般の方なら普通に町を歩いているのか、それとも何か事故に遭った被害者なのか、何か問題を起こした被告人なのか。そういった属性によって、肖像権の扱いはまったく変わってきます。

さらにその作品をどのように使いたいかによっても、必要な権利処理は変わります。ただ単にデジタル化すればいいのか、それとも公開・利用したいのか。利用する場合は非営利なのか、商業利用したいのか。これらの情報を組み合わせれば、その作業は権利者の許可がないとできないのか、許可がなくてもできるのかが判断できます。その結果、「許可がなければできない」とわかったものが、利用にあたっての課題ということになります。

ここで気をつけなければならないのは、完全に安全にすべての権利をクリアにしてから利用しようと思ったら、ほとんど何もできないということです。80点とれればOK、ある程度はリスクをとるという考え方も必要です。また、許可が必要になったときは、最初に個別処理を考えます。権利者に連絡をとり、利用の許可をもらえるよう頼むわけです。もしそこでいくつかの権利をまとめて処理できるなら、大量処理も可能になります。逆に「権利の問題は確実にあるが、個別処理では対応できない」という問題があれば、ここで初めて法制度の出番になります。問題を解決するための新しい法律を、みんなで話し合って作っていこう、という話を始めるのです。このようにボトムアップで立ち上がってくる法制度論こそが、真に必要とされる法律なのではないかと思います。

ゴードン 今夜の議論と会場からの発言を聞いて感じたのは、アーカイブには中央政府がやるべきことと、地域や草の根でなすべきことがあり、両者の間には緊張関係があるということです。アーカイブ立国宣言が提言するさまざまな仕組みを実現するためには、どうしても国民の税金による資源が必要です。同時に、今のようにデジタル生まれの情報が増えている時代においては、草の根レベルから生まれるさまざまな営みの情報も、きわめて重要になります。その両者をどうやってうまく統合していくか。まず、仕組み自体は誰でも参加できるものにして、市民がそれを見守り、参加しながら圧力をかけないといけないと思います。その責任は日本に限らず、すべて国における市民の義務でもあります。そして国の役割は、市民が持ち寄った情報をつなげられる「広場」を(インターネット上に)作ることだと思います。いろんな人が自分の持つ情報を「広場」に入れていけば、アーカイブの将来に向けて重要な役割を果たすような、新たなバーチャルコミュニティができるのではないでしょうか。ちょっと楽観的すぎるかもしれませんが、今後アーカイブがそういった世界を目指していくといいなと思います。

吉見 では最後に、私からも個人として発言させていただければと思います。今回のサミット全体のテーマは、4つの提言からなるアーカイブ立国宣言でした。この宣言の構築には、私自身も深く関与してきました。一部の方には「吉見俊哉はいつからナショナリストになったんだ」という疑念をもたれたかもしれませんが(笑)、若干抗弁をさせていただけば、地域のアーカイブをはじめとした地道な取り組みが継続していくには、そこに関わる人々が生きていくためのお金とか、資材処理の仕組みとかが保証されていなければなりません。その保証のためには、国家的な予算や取り組みが不可欠です。アーカイビングを行う人々に対して一定程度の人件費が確保され、そこに雇用が生まれること。そして著作権を巡る法的な処理の仕組みが円滑になっていくこと。これらが国家レベルで整っていないと、地域や市民レベルの取り組みは、長期的に持続可能な状態にはなりません。そう考えれば、私たちは団結してアーカイブに関わる法的な仕組みの改正に取り組むべきだし、アーカイブの予算確保や人材育成の仕組みも同時に作っていくべきということになります。この点においてここに集まる方々が連帯することが、アーカイブ立国宣言を行う価値につながると思います。

もちろん現時点でも「アーカイブとはいったい何なのか?」という根源的な問いは残っているでしょう。私たち自身も、その部分での認識を完全に共有しているわけではないかもしれません。文書館をベースにしている方、図書館をベースにしている方、あるいはデジタル生まれのアーカイブに携わる方では、認識は微妙に違うと思います。しかしながらそれぞれの認識を「アーカイブ」という言葉で束ねることにより、日本における記憶や記録、さまざまな過去の歴史との関わり方を、未来に向けて活用できるように変えていく、その回路を得ることができます。そのための一つの大風呂敷なチャレンジとして、私たちはこのような宣言を出すのです。

アーカイブ立国宣言には、ここに登壇しているメンバーだけでなく、サミット組織委員会事務局長の沢辺さんや、国立国会図書館のメンバーをはじめ、非常に多くの人たちが関わっています。これらの皆さんのご協力にも、深いご理解をいただければ幸いです。では、シンポジウムはここまでといたします。どうもありがとうございました。

[サミット閉会宣言] 沢辺均(サミット組織委員会事務局長・ポット出版)

沢辺 では、アーカイブ立国宣言を読み上げさせていただきます。

提言1:国立デジタルアーカイブ・センター(NDAC)の設立~国内における多数のアーカイブをつなぐデジタルハブの役割を果たす、日本のデジタルアーカイブ全体のセンターかつ窓口として、「(仮称)国立デジタルアーカイブセンター」を設立する。

提言2:デジタルアーカイブを支える人材の育成~文化芸術分野の知見、作品の収集・保存・修復・公開の技能、そして必要な法律知識を適切に備えたアーキビストの育成を中心に、デジタルアーカイブを支える人的基盤を整備する。

提言3:文化資源デジタルアーカイブのオープンデータ化~公的な文化施設によって整備される文化資源デジタルアーカイブを、誰もが自由に利活用可能なオープンデータとして公開する。

提言4:抜本的な孤児作品対策~著作権・所有権・肖像権などの権利者不明作品(いわゆる「孤児作品」)につき、権利者の適切な保護とのバランスを図りつつ、その適法かつ迅速な利用を可能とする抜本的立法措置を実施する。

以上4つの提言が、アーカイブ立国宣言の骨子になっています。本来ならばここで普通の集まりのように、この宣言を僕から提案して、参加者の皆さんから賛同の拍手をいただき、シャンシャンで終わる予定でした(笑)。しかし今日のミーティングやシンポジウムでは、このアーカイブ立国宣言の提言に対し、皆さんからとても多くの補強案や問題提起が寄せられました。それこそがこのアーカイブサミットの一番大きな成果なのではないかと思いますし、今後は今日の議論を起点として、さらに議論を進めていきたいと思います。ただ、アーカイブの重要性・必要性そのものについては、今日参加していただいた皆さんで共有することができたのではないでしょうか。そこで私たちは、今読み上げた4つの提言を中心とするアーカイブ立国宣言を一つの土台としてとらえ、今後はこれにさらにいろいろな肉付けをして、アーカイブのますますの充実を図っていきたいと考えます。そのことも皆さんと認識を共有できると思いますので、よろしければ皆さん、このアーカイブ立国宣言を、ここにいる全員の共通の出発点として持ち帰っていただきたいということについて、賛同の拍手をいただければと思いますが、いかがでしょうか。(拍手)ありがとうございました。

公開日:
最終更新日:2017/03/09